2011年4月30日土曜日

naminori 2

サーフィンを始めるきっかけは,高校3年生の時に先輩のカローラレビンに乗って
湘南西浜あたりに連れて行かれた記憶があります。
当時はボルト,ローカルモーション,タウン&カントリー(目黒通りの自由が丘にお店があったんですよ!!)
ちょうどその頃ですね,渋谷に109がオープンして,7階あたりにミナミスポーツがありました。
タウン誌のポパイが全盛期,音楽はサザンオーリスターズやユーミン,横浜元町のFUKUZOなんかがブレークして,
葉山マリーナにはマリーナホテルがあったんですよ。
初めて買った車は確か1965年生のVW1500S。
アロハキャリアは必須で,エンピのホイルにサイドマフラー,ハーストのシフターなんかでカスタマイズしてたかな。。
19歳ですよ!!その後,運転免許書は無くなってしまいました。
先輩も替わり。MAZDAのサバンナRX3の車高短にハヤシストリートを履いた車で週末は大磯方面に。
そのまま時は流れ,ウインドサーフィンブームに。。
ウインドサーフィンで波に乗れる?
完全にはまり一年の1/3はハワイに住む生活が30代前半まで続きましたね。。
気がついたら,周りの人がウインドサーフィンのプロになってしまい,自分はプロにはならないな。。。
って,思ってすべてハワイに置き残して帰国。

帰国して波乗りに行ったのは,稲村ケ崎でしたね。。
頭〜頭オーバーの稲村インサイドで粕谷修二さんも入ってました。
その後はずーっと稲村ケ崎。
頭以下では入らなかった,っていうか小さい波の乗り方を知らなかったんですね。。
次にハマったのが,鴨川アウトサイド。
ダブルサイズになってもクローズしないので,完全にはまり,家も買ってしまいました。
誰もいない海にパドルアウトすることもこの頃からだった記憶があります。
そして,忘れもしない2000年。
ロングボードでハワイノースショアを滑れることを知り,トライフィンのロングにハマりました。
当時のロングボードはいわゆるログかシングルスタビのカリフォルニアスタイルしかなくて,
ブルーワーの工場まで行って毎年ロングのトライフィンを削ってもらいました。
ショートは6’8〜7’2のロペスしか乗らなかったですね。。
でも,記憶に残っている限り,僕の力量ではロペスさんの板はダウンザラインのみで,マニューバーにはなりませんでした。
波も大きかったですけど。。

45才を過ぎて,体力的な衰えを感じてからは,板にこだわるようになりました。
ブログの説明にもありますが,Skip Fryeに乗ってからです。この経験はサーフィン人生をがらっと変えましたね。。
それまでは,いけいけで,相棒に「これ,まじ行くんですか?」なんて言われましたね。。
来年あたりはショートボードは厳しいかもしれません?
パドルはいけるんですけどね。。
なにしろ,左足が痺れているのがいけません。

そろそろ,のんびりロングボードもいいかもしれないかな。。
ロングボードなんて持ってるの?
はい。持ってますよ。。(笑い)

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